せみ達の声が減った。
なくした後でその大切さに氣づくんだ、なーんて人は言う。
ある時には氣づかない、って。
「なくした後で、その大切さを今まで以上に感じる」っていうんは、あるんだと思う。
カレーのスプーン
プルタブ
ズボンのゴムひも
好きなあの人の笑い声
雨の日の屋根
蝉の声
でも「ある時には氣づかない」は、多分うそ。
だって、氣付いたら嬉しくなるもんね。
ふんわり笑顔になるもんね。
だから、嬉しさの感度を上げたいな。
ヒグラシの声は空氣に溶け込み
心の風鈴をちりんとならす。
ミンミンゼミは
大人の中にいる子どもの目覚まし時計。
ツクツクボウシは
思いでアルバムを開いてくれる。
アブラゼミ、
おれもがんばってるよ。がんばろうな。
そんな蝉たちの声が、家の周りから消えた。
地表を覆うコンクリートが出口を塞ぎ、幼い彼らは息を止めた。
7年前の蝉はもう一生土の中。
太陽を知らないまま、生きていけない地の中で死ぬ。
ぼくらは、「なくした後で氣付く大切さ」に
なくしても氣付かない段階に入っていないだろうか?
自分で自分の「嬉しさ」を
奪っていないだろうか?
ある言語学者が聞いた。
「動物園からうさぎ達が逃げた。さて、逃げたのは何?」
なにを聞くんだ!という顔で、「うさぎ」と答えたあなた。
逃げたのは、うさぎだけじゃなくてもいいんです。
きりんも、ぞうも、ライオンも、
かめも、めだかもいていいんです。
だって、うさぎ「達」だから。
考えたら、日本語って感度の高い言語だと思う。
考えたことを全部言葉にしないと受け取ってくれない言語は、
わかりやすいけど時々不便。
1を聴いたら
その裏の10をみたいなぁ。
そういう感度が欲しい。
嬉しさ感度
ありがとう感度
いただきます感度
ごめんなさい感度
あ、そういえば、
小学校の夏休み、毎日感じたわくわくを
最近毎日感じないかも。
もしかしたら、知らない間に指の隙間からこぼれてしまったものが多いのかもしれない。
せみ達の声が減った。