以前、成功する学習には5つのステップがあるとブログに書きました。Attention, Curiosity, Attraction, Modeling, Progress/Production の5つがそれだったのですが、その後たくさんのコメント、フィードバックを頂き、修正モデルを考える必要を感じたので、今日はそれについて書こうと思います。
振り返ってみると、以前のモデルを考えていた自分は、学習する「機会」を「当然あるもの」として捉えていたのですが、友人のコメントから、そうした機会を与えられいない人達がいるという現状を教わりました。自分で勝手に前提を作ってしまっていたことを指摘され、痛い思いを感じたと同時に、自分の考えの及んでいなかったことを指摘してくれる友人がいるということに、とても感謝をしています。
よくよく考えてみると、自分の身の周りにも、「よい学習のための機会」が与えられていないということはありふれているようです。
例えば、普段何氣なく生活している中である問題が発生して、悩みに悩んだ末に友達に相談をしたら、その問題を引き起こしている根本を指摘され、「ああ!」と納得すると同時に、「昔あったあれも、これがわかってたら随分違っただろうな」と思った、という経験はおそらく多くの人にあるのではないでしょうか。
ぼく自身の最近の例で言うと、授業に修論に就活にアルバイトにサークルにと、やることがたくさんあって息抜きができていなかったのに、日ごとの「やることリスト」が柔軟性に欠けていて、「お昼のうちにこの宿題を何ページ読んで、その後図書館で2時間修論やって。あぁ、365 Days も Facebook にアップロードしないと!」で「やること」が目の前にどっさり山積み。その時点で本当に息抜きのできる時間がほとんどない。
それで、友達や先生と話したりで予定通りの時間がなくなってしまうと、「あぁー!また寝る時間削ってやらないと!!」でプレッシャーを感じてしまい、もっと「息抜きをする時間」を惜しんで「やることリスト」を終わらせようとして、その結果疲れがたまって効率が悪くなり、「あぁ!また終わらない!寝る時間を・・・」の繰り返し。。。笑
「どうにかしないといけない!」と思い立って友達に相談した結果、「一日に一回、必ずリラックスする時間を作る」という発想が自分の頭から出てきて、それから見違えるように氣持ちが楽になり、結果、自分のやることも随分うまくいくようになった。さらに、「これを学ぶ機会がもっと前にあれば、大学4年で卒業論文に追われてる時も随分違ったかもしれない」なんて思い返すようにもなった。
この例を出したのは、「自分はこんなにたくさんのことをこなしている!」と自己満足に自分を沈めるためでなく(生産性のない自己満足に自分を沈めることほど自分の価値を下げることはない!が、同時にがんばった自分を褒めてあげることほど自分の価値を高めることはない!この違いと、どうしたらうまく自分を褒めてあげられるかは、また今度書こうと思います。)、学びの機会というのは実は私たちの周りにあふれているということを具体的に想像してもらいたかったからです。きっと振り返ってみたら、あなたの日々の中にもこのような経験があったのではないでしょうか?
さて、ここで注意すべきは、「よい学習のための機会」というのは待っていたら転がってくる物でも、誰かが与えてくれる物でもなく、「自分で探さなければならないもの」だということです。
これは、教育に携わる立場にいる人達にとっては、さらに真剣さを要します。というのも、そうした人たちにとっては、目の前にいる人に対し、より質の高い学習の機会を探した上で、彼らがそれをみつけられるように導いてあげるのが仕事になるからです。
大学時代にぼくが友達と運営していた教育ボランティアサークルでは、活動に来てくれた生徒たち一人ひとりに、勉強を楽しむいろんな方法を提供していました。それは、大学生側が一方的に「コレをしてみよう、アレをしてみよう」という関係ではなく、生徒一緒に勉強を楽しみながら、一緒になって楽しい方法を作り出すという関係でした。
実際、「あ、そのやり方すごくいいじゃん!」と生徒側から学生が氣づかされることが非常に多かったように記憶しています。
もちろん、その活動が完璧であったかと言えば、それからはほど遠く、以前は「よりよい学習の機会にみちびいてあげなければならない」などとは考えていなかった訳なのですが、振り返ってみると、当時のアプローチは「生徒一人ひとりが自分にあった学習の機会をみつけるのをサポートする」という点では、ある程度の成果を生徒たちが作り出すお手伝いができたのではないかと思っています(むしろ学ばせてもらうことの方が多かったかもしれないのですが)。教育に携わる者にとって、どんな形にせよ「目の前にいる人が学びの機会をみつける」ことを目指すことは、非常に必要なことだとぼくは感じるのです。
以上、学習の「機会」について書いてみた訳ですが、さらに、学習モデルの最後のステップとして、今まで経てきたステップを振り返ってみるという作業をモデルの中に加えてみると、より現実的な成功する学びに近づくのではないかと最近考え始めました。
多くの人の意識の中では、今までの自分を振り返り、満足のいかない結果を出していた原因がわかった時に大きな「学び」が起こるようです。ぼくの周りの人たちの中でも、「今振り返ったらあの時はあほだったよな」とか「今の自分があの時に戻ったら、もう全然違う結果がだせたよな」と言う人がたくさんいました。その瞬間の彼ら、彼女たちの表情からは、決して過去を嘆く悲観的なものではなく、なにか以前と違う自分にそっと喜んでいるような、やんちゃで魅力的な笑顔であったり、今の自分を褒めながらこれからに希望にこっそりわくわくしているような、きらきらとした目がみてとれました。
きっと、今これを読んでくださっている方の周りにもそんな人たちがいたんじゃないかと思います。もしかすると「私もそれ感じたことある!」という人も多いのではないでしょうか。
この「振り返り」の瞬間、自分がどんな変化を起こしてきたのか、そこから何を得たのか・学んだのかということが、意識の中にリアルな自分のストーリーとして広がってきます。そして、ぼくのみてきた限り、そうした瞬間がその人の今の状態であったりこれから踏み出す新たな一歩であったりを勇氣づけ、励ましてくれる大きなプッシュになっているようです。つまり、こうした内省 (reflection) の経験が、それまでの学びのみならず、これからの学びにも大きな影響を与えるているようです。(教育の分野では、この Reflection に関するポジティブな成果がたくさん報告されています。その一例として、Reflective Journal (振り返りの日記)が学習ストラテジーを強めるという成果も発表されているようです。このブログ自体が、よく考えたらぼくにとっての "Reflective Journal" ですね!)
以上の2点を参考に、新しい学習モデルを整理すると、以下のようになります。
〜修正版学習のプロセス: ACOAMP-R モデル〜
Attention: 意識
Curiosity: 興味
Opportunity: 機会
Attraction: 魅力
Modeling: モデリング
Progress/Production: 成果
Reflection: 内省
ブログの入力形式の関係で、ここにうまく視覚化することが難しいのですが、ここで注意したいのは、これは直線的なモデルでなく、サイクルモデルだということです。どういうことかというと、最後のステップ Reflection はそれ以前の6つの段階のどこにでも戻ることができ、そこからの繰り返しが、「学び」を "Never Ending Story" たらしめる動きを作り出すのです。
最後に(といってもまだしばらく続くのですが)特に強調したいことは、自分が学習者である場合、これら7段階の全てを自分で作り出すことができるということです。今回のブログは「機会」から始まったわけですが、「意識」から「魅力」までの4ステップは、自分が「これを学ぶぞ」という強い決断をしていれば、自ら生み出すことができます。なぜなら、意識も興味も魅力も、それを作り出すのは自分の脳しだいだからです。「機会はどうなの?」という声が聞こえてきそうですが、「学ぶ機会」もまた、自分が本当にそれを学ぶと決断していたら、どんな方法でもそれをみつけることができるはずです。仮に、前回の例を振り返って、イタリア語の教室が近くになかったとします。すると、そこで機会はなくなってしまったかと言ったらそんなことは決してなく、オンラインのイタリア語会話プログラムをみつけられることもできますし、イタリアン・バーに行ってイタリアから来ている人を探すこともできます。直接現地に行って語学学校に入るというのも一つでしょう。「お金がない!」と言う人は、友達に手当たり次第、イタリア人の友達がいないか聞いてみるかもしれません。きっと友達の友達の友達くらいまでにはイタリア人が見つかるでしょう。仮に見つからなくても、イタリア語を勉強したことのある人なら一人くらいみつかりそうです。そうなれば、その人にどう勉強したかインタビューするのもひとつでしょう。もしかしたら古い教科書やノートを貸してくれるかもしれません。問題は、「機会」も含めてそれが「あるかないか」ではなく、「自分がそれを見つけ出すか見つけ出さないか」なのです。
これはしかし、自分が学習者をサポートする立場、つまり教育に携わる者であると、また話が少し違ってきます。「みつけられるよ!がんばれ!」というメッセージは、特に学校など教育機関にいる人たちにとっては、必ずマイナスになるとは言わないまでも、そのメッセージだけを伝えるのではいい効果は決して期待できません。
さぁ、いよいよ今日のブログの核心に迫ってきた訳ですが、全てを解決する何か全く新しい方法をここで提案する、といったようなことはありません。というのも、そういうアイデアをぼくはそもそも持っていないし、それをみつけようとするのも現実的でないと思うからです。(古今東西多くの教育研究者が、「one-fits-for-all panacea (全ての人、全ての症状に効く万能薬)なんてない!」と明言している!)
しかし、「学習者一人ひとりの学びをよりよいものにする」という理想に近づくその方法の根本を目指して教育を掘り下げていくと、つまるところ、「教師や先生と呼ばれる立場の人たちも、一学習者である」というところに行き着くのではないかと思うのです。ぼくが「教師」や「先生」という言葉を使わず「教育に携わる人たち」という表現をするのは、一面ではこうした「教師」「先生」と呼ばれる人たちを指しているのですが、同時に「その人たちもまた学習者である」という面もまたその言葉に含めたいからです。
教育に携わる人たちは、目の前にいる人たち(これから学びを始める人たち、生徒)の「意識」をつかむみ、「興味」を駆り立てるためにありとあらゆる工夫をし、それが可能な様々な「機会」の種を授業内外で蒔き、生徒が「魅力」を感じ、それを膨らませる機会を真剣に考え、彼ら、彼女らに合った「モデル」を提供することで「成果」を生み出しながら、さらに「内省」を促し、一人ひとりが自分の学びと向き合う中で、さらなる学びへの準備を手伝うことを仕事にしています(他にもたくさんしていることはあるのですが、ここでは今回紹介したモデルにそってその仕事をみています)。
また、それと同じく非常に重要且つ不可欠なことは、教育に携わる者一人ひとりが、「自分は他の人の学びを支えるための方法を学び続けている者なのだ」という自覚を持ち、自身の研鑽に励むことです。そして、その自己研鑽の一つの指標として、今回紹介したモデルが少しでも役に立てば、と、ぼくはそっと願っているわけです。
つまり、ぼくも含めた教育に携わる人たちが、「どうしたら目の前にいる人たちにより質の高い学びを提供できるだろうか」という問題に向かっている「学習者」であるということを強く「意識」し、その問題に大きな「興味」を持ち、それを解決するための「機会」を一生懸命になって探し、それに携わる自分の仕事に心から「魅力」を感じ、「モデル」を探して「成果」を生み、「内省」を通して更なる研鑽に努める。
何度も強調しますが、決してこのモデルが全てとは言いません。直感で「自分にはしっくりくるな」と感じている人もいれば、「いや、なんだか」と感じるている人もいるでしょう。ただ一つぼくが願うことは、「頭の中で止まらず、何か行動をして欲しい」ということです。
ぼくは「行動をしたくてもどうしたらいいかわからない」という状態が長く続いていました。わからなかったので、やみくもに自分ができることを考え、自分で「それが正しい」と信じてきました。そこから多くを学びとったのは事実ですが、同時に、独りよがりだったと思っているのもまた事実です。
なぜぼくがこんなに「学習モデル」に執着しているか。
それは、そんな独りよがりだった自分が、周りの人に目を向けるようになり、「モデリング」することを通して、学びということに対する考察が以前より深まってきたと感じていると共に、それをまわりの人共有したいと思っているからです。この7つのステップは、ぼくが一人で思いついたものではなく、本を読み、友達の話を聴き、先生の話を聴き、その他たくさんの教育者たちの意見に触れ、フィードバックをもらい、さらに考えることで、少しずつ見えてきたモデルです。きっとこれからまた少しずつ変わる部分があるかもしれませんが、その一つ一つが、誰かの行動のきっかけとなり、指針となってくれたら、言葉にならないほど嬉しく思います。
これからも、教育に携わる者として研鑽の日々を過ごしていきたいと思っています。
大切な時間を使ってこれを読んでいただき、本当にありがとうございます。
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